弁護士が犯罪者・犯人をも弁護する理由(被疑者のみならず国民全体の人権保障のために必要だから)

刑事弁護人をしていると,なぜ悪い人を弁護するのかと聞かれることがよくあります。時間の無駄だとか,被害者をさらに苦しめる行為だとか言われて,弁護士がバッシングを受けることさえあります。

しかし,どのような凶悪犯罪であったとしても,また現行犯人等で犯罪を犯したことが明らかであったとしても,弁護人による弁護の下,裁判手続きがなされなければ,有罪判決を受けて刑罰に処せられません。

弁護士の立場から見ると,被疑者・被告人に対して弁護人による弁護がなされることは絶対に必要なことなのです。刑事訴訟法289条に規定された場合を除いて例外はありません。

理由は2つあります。1つは,当該犯罪を犯したとされる「被疑者・被告人自身の人権保障」の観点から必要だからであり,もう1つは,「国民全体の人権保障」にとって必要だからです。

以下,順に説明します。

被疑者・被告人の人権保障の観点

言うまでもなく,刑事裁判手続きは,人の手によってすすめられます。

警察官が犯罪の端緒を見つけて,検察庁に事件を送り,検察官が起訴の判断をした後,刑事裁判が行われ,そこで事実認定が行われ,判決言い渡しが行われ,有罪判決が言い渡されれば刑の執行がなされるという一連の手続きの全てを人間が行います。

人間が行う手続きである以上,一連の手続きの中で必ずどこかにミスは生じえます。

さすがに捜査機関が故意に犯罪をねつ造することはないと信じていますが,熱心に捜査活動を行っているうちに,行き過ぎてしまうことは起こりえます。

このような刑事手続きでミスで有罪判決が言い渡されてしまえば(冤罪),当該被疑者・被告人に取り返しのつかない人権侵害が生じてしまいます。

そこで,罪責を追及する側である検察官側と,被疑者・被告人を防御する側である弁護人側とで,その主張をたたかわせ,双方の主張を第三者である裁判官が判断することによって,できる限り冤罪を防止しようとして作り上げられたシステムが,現行の刑事手続きなのです。

凶悪犯罪であっても,また一見して事実に争いがないような事件であっても,どこに誤りが潜んでいるかはわかりません。そこで,冤罪を防ぐため,例外なく,適正な手続きによって刑事裁判が行われる必要があるのです。

すなわち,被疑者・被告人に対する冤罪防止の観点から,弁護人による弁護活動が必要となるのです。

国民全体の人権保障の観点

前記の弁護人による弁護活動は,当該犯罪を犯したとされる被疑者・被告人の人権保障のみならず,一般国民の人権保障の観点からも極めて重要なことなのです。

なぜ,個別の犯罪を犯したと疑われる者に対する弁護活動が,国民全体の人権保障の観点から重要なのか,その理由が極めて重要です。

刑罰権は,場合によっては,人の命を奪うことも合法化される,国家権力が有する決めて強い暴力装置です。

この刑罰権という暴力装置を,為政者(権力者)が恣意的に使用できるようにすると,為政者は,自身に都合の悪い人物に罪をでっち上げることにより,簡単に一般社会から抹殺できます。また,そのようなことができてしまうと,一般国民に萎縮的効果が生じてしまうため,ますます為政者に対する批判ができなくなってしまいます。

すなわち,為政者が刑罰権を恣意的に使用できるようになると,独裁が可能となり,簡単に一般国民に対する人権権侵害が可能となります。なお,刑罰権の恣意的運用は,刑罰法規を恣意的に制定すること,一定の人にだけ法の定める手続きを割愛して刑を科すこと等,様々な方法により行われます。

現代においてもこの理がまかり通っている世界があることについては,隣国の状況を見ていただけるだけでお分かりいただけると思います。

国家機関に属さない弁護士は,このような為政者による恣意的な刑罰権の発動が行われないよう,常に監視を行うことが要求されます。

1つ1つの事件について,合憲性の担保された刑罰法規に規定された各種犯罪について,適正手続きに基づいた手続きを経て,刑事裁判が行われ,証拠をもって判決を言い渡され,有罪判決の場合にその刑が執行される。この手続きを維持することによって,為政者による恣意的な刑罰権の発動を抑止しているのです。

卑近な例えを1つします

はちみつに目がない熊のプーさんは,友達のロバへの誕生日の贈り物として持っていくハチミツを途中で全部舐めてしまいます。また,猛獣を捕まえるためのえさとして準備したものも確認のためとして大半を舐めてしまいます。

そんなそんなプーさんは言います。,「なぜ,世のなかに,ミツバチなんかいるかっていえばね,そりゃ,ミツをこさえるためにきまっているさ」「なぜ,ミツをこさえるかっていえばだね,そりゃ,ぼくが,食べるためにきまっている」。

これを,空想の世界でディズニーキャラクターが言えば単なる笑い話です。

ところが,これを,現実社会で為政者が言えばとんでもない悲劇です。

為政者は言います,なぜ世の中に国民がいるかっていえば,国(為政者)のために働くためさ,なぜ国にために働くかっていえばだね,そこから得た利益を為政者が搾取するために決まっている。

かつてはこれが,日本でも国家レベルで行われていました。

為政者が,自身の国家統治に都合が悪い人物を好き勝手に処罰することにより,国民の統制が行われていたのです。その結果,権力に対する歯止めがかからず,戦争にまで発展しました。

これを現在の為政者に行わせないために,1つ1つの事件につき,それがどれだけの凶悪犯であっても,また事実関係に争いを生じさせない事件であっても,恣意的運用がなされないように目を光らせ,適正手続きにのっとって刑事裁判を経て有罪判決を受けさせる。

そのことが重要なのです。

そのためにも,被疑者・被告人に対する弁護活動を通じて,弁護士が弁護人として関与し,刑事司法手続きを維持して我が国の適正手続き(刑事裁判制度)を維持していかなければならないのです。

まとめ

以上が,弁護士はなぜ犯罪者(悪いことをした人)を弁護するのかという質問に対する回答です。

当該犯罪を犯したとされる「被疑者・被告人自身の人権保障」を図るのみならず,適正手続きを維持することによって「国民全体の人権保障」を図ることが必要だから,弁護士は,犯罪者(悪いことをした人)をも弁護するのです。

凶悪事件の被疑者・被告人の弁護人をすると,必ずバッシングが起こります。一般の方のみならず,適正手続きの重要性を理解しているはずのマスコミから起こることもあります。

弁護人となった弁護士も人間ですので,心情的には,バッシングにあってまで弁護をしたいわけではないのです。通常,刑事事件の多くは経済的にはペイしませんので,そのほとんどは手弁当です。

それでも,心ある弁護士は,あえてそのようなバッシングを浴びても,適正手続きを守るために,その職責を全うしているのです。

それが必要だとわかっているからです。

先の憲法下で行われた恣意的な刑罰権の発動による人権侵害(もっといえば,戦争に向かう言論封鎖を抑止できなかったことについても。)に対する反省から,我が国の最高法規である憲法は,100条程度しかない条文のうち,18条,31条~39条の10か条に亘って,人身の自由についての条文を置いています。

なんと,憲法の規定の10分の1が刑事手続きによるものです。

しかも,その条文の内容も,他の規定内容とは異なって,極めて具体的に国家機関による刑罰権行使を規制しています。

憲法が,為政者(国)による恣意的な刑罰権の発動をいかに恐れているかがわかります。

極めて重要な問題であるにもかかわらず,ほとんど話題に上ることがない問題ですので,一度紹介してみることとしました。

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