会社を設立して,一代で大きくした創業者社長は,通常,社内の誰よりも仕事に精通しています。そのため,この社長は,会社内の誰よりも業務に詳しく,誰よりも会社に貢献できる人といえます。
もっとも,このような社長が,会社の各種実務に永きに亘って携わり続けると会社は成長できなくなります。
どういうことでしょうか。
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会社の実務は誰が行うべきか
言うまでもありませんが,商売は,お金や労力を投資して,リターンを回収することで成り立っています。
そのため,リターンの高さとリターン数の多さが会社の稼ぐ力の大元です。
この点,創業者社長は,会社内の誰より高いリターンを産む仕事ができる可能性があります。
仕事に対する圧倒的な自負もあって,会社の実務の全てを把握しその全ての最終的意思決定をしたい(全て社長決裁で処理をしたい)と考える社長が多くいますが,会社の成長を考えると,害悪とすら言えます。
なぜなら,創業者社長は1人しかいませんので,社長の仕事は,リターンは高いものの,必然的にリターン数が少なくなるからです。
他方,各従業員は,リターンの高さこそ社長に劣るかもしれませんが,リターン数を多く稼ぐことが可能です。
これらを,単純化してみると,以下のとおりとなります。
社長リターン100✖️1人=100
従業員リターン20✖️20人=400
実際はこのように単純にはいきませんが,基本的な考えとしては,社長リターンと従業員リターンのどちらが会社に利益をもたらすかは,考えるまでもなく明らかです。
理論的には,会社が大きくなり始めた後は,社長が,会社の各実務に関与し続ける(すべてにおいて社長決裁を得る必要があるとする)ことに実益はありません。
会社の将来を思うのであれば,社長は,会社の方向性を決めて資金計画を立案するとともに,会社の実務運営を任せられる人材の育成に尽力するべきです。
歴史も,同様の示唆をしています。
歴史上の偉人を例に
項羽と劉邦を例に
秦王朝滅亡後に,名家の出身で天才肌の武力のカリスマ項羽と,農家出身で大した能力を持ち合わせず地方のチンピラとしてろくな仕事もしてこなかった凡人の劉邦との戦いが置きました。いわゆる楚漢戦争です。
突出した能力を持つ項羽と,凡人劉邦とが戦ったのですが,直接対決では,最後の戦い以外は,全て項羽が勝利しており,劉邦は何度も何度も窮地に陥り,弱音を吐き続けるという経過をたどります。
ところが,最終的には,凡人劉邦が勝利して漢王朝を開くという結末になります。
この,弱者であり,凡人でもある劉邦が最終勝利者となった理由が,会社経営の肝であると思います。
どういうことかというと,項羽は,突出した能力に恵まれてしまったおかげで,自分より優れた人間は存在しないと考えるに至り,部下の意見を聞いたり,部下に任せたりすることが出来ません。
そのため,部下が成長して項羽を助けるという構造ができにくく,結果として,項羽が戦うときは連戦連勝ですが,部下が戦うときはうまく行かないという構造的問題が生じ,常に自分が先頭に立って戦わなくてはならなくなるに至ります。
他方で,劉邦は,出来が悪く,また精神的にも強い人物ではなかったため,支配地経営から軍事作戦立案に至るまで,終始部下の意見を吸い上げて採用し,またその行動についてもこれを部下に委ねています。
そのため,劉邦の下では,自身の力が発揮できると噂になって劉邦の下に優れた部下が集まり,また集まった部下がどうしようもない上司である劉邦を助けるために,十二分に能力を発揮するのです。作家の司馬遼太郎先生は,この劉邦の頼りなさを,劉邦のかわいげと呼び,劉邦のカリスマ性であると高く評価しています。
その結果として,劉邦は,自身の凡庸さを部下の有能さで補完して,最終的には,武のカリスマ項羽を打ち破り,漢王朝を開くのです。
この部下の能力開花が,劉邦の能力なのです。
どれほど優れた大人物であっても,1人の力では,多数の力の集合体に勝つことはできません。
このことについて,劉邦自身が,項羽に勝てた理由を次のように説明しています。
「わしは張良のように策を帷幕の中に巡らし、勝ちを千里の外に決することは出来ない。わしは蕭何のように民を慰撫して補給を途絶えさせず、民を安心させることは出来ない。わしは韓信のように軍を率いて戦いに勝つことは出来ない。だが、わしはこの張良、蕭何、韓信という3人の英傑を見事に使いこなすことが出来た。反対に項羽は范増1人すら使いこなすことが出来なかった。これが、わしが天下を勝ち取った理由だ」。
古代中国の歴史の話ですが,現在の会社経営についても,同様のことが言えます。
ヘンリーフォードを例に
また,フォード・モーターの創始者であり,ライン生産方式によって自動車・T型フォードを大量生産し,世界を席巻したヘンリフォードも同じような考えを持っています。
ある日,フォードの下にエリート金融マンが訪れ,高校中退したフォードをバカにするために,フォードに対して,国際金融や芸術,生物学等の難しい質問をしてきました。
当然,それらの分野の教育を受けていないフォードは,各種の問いに答えられません。
ところが,フォードは,それぞれの質問に自ら回答することなく,おもむろに受話器をとって専門家に電話をかけ,その回答を得た上で,質問者に回答したのです。
その上で,フォードは,回答者に対して,「私自身が回答を知らなくても,その回答を知っている誰かを知っている。なぜ,それらを私が知っておく必要があるのだ。」と逆に問うて,質問者を退散させたというエピソードがあります。
フォードも,会社を経営するにあたって,トップがそのすべてを把握し,行動する必要がなく,それらは他の人間がするべきであり,社長の仕事は別のものであると考えていることがわかります。
終わりに
以上,2つの例を挙げましたが,他にも,名だたる企業の創業者についても,同様のエピソードが山のようにあります。
社長の仕事というのは,会社の各種業務を一番うまく行うことが仕事なのではなく,会社の将来を決める意思決定を行うことを仕事とすべきです。
会社の各種業務は,ナンバー2以下の従業員に任せておけばいいのです。
ましてや,創業者社長も年齢を重ねて,いずれは会社を去る日が訪れます。
会社の究極の目的は維持・存続なのですが,創業者社長がいなくても会社経営が可能な状態を作っておかなければ,社長退任=会社の行き詰まり,となってしまいます。
会社は,存続しなければ意味がありません。