会社の究極的な目的は,存続し続けることです。つぶれてなくならないことです。
会社がつぶれてしまえば,その名はもちろん,その会社が持っている技術・ノウハウが消えてしまい,結果として社会的価値を失ってしまうからです。
以前,会社をつぶさないために,従業員や経営者が何をするべきかについての私見を述べましたが,本稿では,会社をつぶさないために,いつ事業承継をすべきか・経営権を引き継ぐべきかについて考えてみたいと思います。
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会社の平均的存続期間は30年
平成31年1月に東京商工リサーチが発表した平成30年度の倒産企業の平均存続期間は,23.9年でした。
何百年も連綿と続く企業もありますが,新興企業の大半は5年以内に消えてなくなります。
従来より,会社の平均寿命は30年と言われていましたので,データ上も,そんなイメージということでしょうか。
この理は,中小企業と巨大企業で違いはありません。
マイカルや長崎屋が小売業の覇者となったダイエーに敗れ去り,そのダイエーもイオンとセブン&アイに敗れ去っています。
また,そのセブン&アイも,現在では労働力確保の観点から帰路に立たされているようです。
この数字は,日本の企業のみのものではなく,アメリカでもトップ500社の過半数は15年以内には消滅してしまうそうです。
全米2位の書店チェーンだったボーダーず・グループはアマゾンの台頭によって17年で倒産し,大手レンタルビデオチェーンのブロックバスターはネットフリックスの出現で13年で消滅しています。
現在わが世の春を謳歌しているGAFAも,新勢力の台頭によって同じ道をたどるかもしれません。
会社を長きに亘って維持・存続させていくのは,それ程に困難なのです。特に,中小企業の場合は,会社の寿命が30年を超えるのは至難の業です。
その理由は,金銭的な問題もありますが,時代の潮流に乗り続けるのがほぼ不可能であること,適切な時期に適切な判断ができる人に経営権を引き継いでいくことが困難であるとの理由も挙げられます。
歴史の偉人を例に
世代交代は,歴史的に見てもその困難性が見て取れます。
朝倉宗滴の例
朝倉宗滴は,ナンバー2として,3代に亘って朝倉家当主を支えたチート武将です。本名は,朝倉教景といいます。
朝倉宗滴は,謀反人を討伐したり,一向一揆を撃退したり(九頭竜川の戦いは有名です。)するなど合戦で数々の大戦果を挙げているのみならず,領内での内政や,果ては有名な一乗谷城を作り上げるなど政治の世界でも極めて能力の高い人物だったらしく,その有能さが突出した人物でした。
朝倉宗滴が有能であったためにその存命中は宗滴の能力によって朝倉家は大いに勢力を拡大したのですが,宗滴が有能すぎたために政務の一切を宗滴にて完結してしまった結果後進が育たず,宗滴の死後,人材不足から朝倉家は没落の一途をたどり,ついには織田信長に滅ぼされてしまっています。
武田信玄の例
戦国最強と言われた武田信玄率いる武田家ですが,その家督相続は骨肉の争いの歴史です。
武田信玄自身も,父親を追放して家督を相続しているのですが,自身が同じことをされないために,謀反の疑いありとして嫡男義信を切腹させています。
その結果として,家督を継ぐべき適切な子がいなくなってしまい,本来は家督を継ぐ立場になかったたために陣代・諏訪勝頼を立てることとなってしまいました。
武田家としての本流から外れた陣代をトップとしてしまった結果,有力国衆の求心力を失ってしまい,家臣の離反の結果,武田氏は織田信長に滅ぼされています。
織田信長の例
織田信長が,天下統一の直前に,本能寺の変にて夢破れたことは誰もがご存知のことと思います。
この本能寺の辺によって織田家が没落しているのですが,その織田家没落の要因は,織田信長の死亡ではないというのはあまり知られていません。
織田家が没落した要因は,織田信長が死亡したことではなく,当時既に家督を継いでいた息子の織田信忠が,逃げて再起を図ることなく,あえて無勢で明智軍に挑んで討ち死にしたことにあります。
織田信忠の死亡により,織田家を率いるべき能力ある男子がいなくなってしまったため,有力家臣の台頭を抑えることができず,織田家は没落の一途をたどりに至ってしまったのです。
豊臣秀吉の例
織田信長の後,天下統一を果たした豊臣秀吉は,晩年まで子宝に恵まれなかったため,次世代に万全の形で家督を引き継がせることが出来ずに家臣の台頭を許し,豊臣家は,天下を維持することが出来ず滅亡してしまいました。
徳川家康の例
以上の反省を最大限に生かして長期政権を樹立したのが徳川家康です。言わずと知れた,300年近く続いた江戸幕府を開いた偉大な人物です。
徳川家康も武田信玄と同様に嫡男信康を切腹させています。
また,出来のいい次男秀康を豊臣家に人質に取られて豊臣色がついているので世継ぎに出来ず(一説には梅毒のためとも言われています。),やむなく出来の悪い三男秀忠を世継ぎにしなくてはならなくなりました。秀忠は,主力部隊を率いていたにもかかわらず関ヶ原に遅刻するなど諸大名から覚えのいい人物ではありません。
外形的に見ると,徳川家は,結構危ない状況です。
徳川家康の凄いところは,ここで歴史上の失敗者を反面教師として,家をつぶさないことに対して,二重三重の策を講じることとしているところです。
具体的には,世継ぎの不足を生じさせないようにするため,多くの側室も子を産ませ,御三家の設置して,継承順位を明確化して,本家に世継ぎがいなかった場合の内紛を防いでいることもその一つです。
また,特に家康の特筆すべきことと言える点が,征夷大将軍に任ぜられて江戸幕府を開くと,たったの2年で息子の秀忠に将軍職を譲っていることです。
人は権力を手に入れれば手放したくないものです。
家康は,徳川家を維持存続させるために,自身のプライド・見栄を捨てたのです。なかなかできることではありません。
この英断により,家康は,徳川家が世襲で江戸幕府として率いていくことを外部に示しつつ,大御所として諸大名を家康が押さえながら,内部的に自身のバックアップの下で息子秀忠を押すところは押し引くところは引くことができる後継者として育てていく仕組みを作り上げました。
この引き際の重要性は,会社でも同じです。
社長が老いてから,または業績が傾いてから,経営権を突然に次世代に譲ると,たいていの場合失敗します。
経営者も人間ですので永遠に生き続けることは出来ません。
いつか世代交代が来るのですが,ある日突然世代交代が起きると,人的掌握が難しく内紛が生じたり,適切な会社の舵取りが出来なくなったりするからです。
社長が元気な間に次世代に経営権を承継し,先代は次世代の仕事をバックアップ(車内調整から,対外政策まで)し,先達として指導者となり,次世代が立派に育ち,独り立ちできるまでお膳立てをすることが,会社の存続には大事なことなのです。次世代を担う人物は,どれだけ優秀であっても,また創業家の人物であっても,実績がなければ人は言うことを聞いてくれません。
会社を維持・存続させるために
もっとも,このことは言うのは簡単ですが,実行するのは簡単ではありません。
その世界で何十年も業務を行ってきた経営者にとっては,引き継ぐべき次世代の人たちは経験不足で頼りなさげに見えます。
そのため,次世代経営者が行う意思決定の1つ1つに不満がつのり,何かにつけて気になります。
会社の継続的な発展のためには,次世代の成長が不可欠であり,次世代が成長するためには,先代がいちいち口を出すことなく,次世代の頭で考え実行させるべきであるに決まっています。先代はアドバイザーに徹しなければなりません。
人を育てるのは難しいのです。
他人事として考えている場合ではありません。あなたの会社の話です。私の会社の話でもありますが・・・
偉そうなこと書いて,すみません。