交通事故損害賠償実務を処理するに際し,過失を特定する際に直接使用する法律は何だと思いますか?
道路交通法と思った方が多いと思いますが,違います。
【目次(タップ可)】
交通事故損害賠償実務に道路交通法を直接適用できない
法律の規定形式
まず,日本に存在する法律(実体法)がどういう構造となっているかを説明します。
法律(実体法)は,とある法律要件を充足すると,とある法律効果が発生するという形で規定されています。
「・・・したら」→「・・・なる(する)」
例1:民法555条
売買は,当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し,相手方がこれに対してその代金を支払うことを約することによって,その効力を生ずる。
例2:刑法199条
人を殺した者は,死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。
公法と私法
次に,実体法の種類について説明します。
日本の法律には,公法と私法があり,公法とは,国が国民に義務を強いることにより利害を調整するものです(主体が国)。主な例は刑法です。
他方,私法とは,国民相互間のルールを定めることにより利害を調整するものです(主体が人)。主な例は民法です。
交通事故処理に道路交通法が直接使えない理由
では,交通事故損害賠償実務を処理するために使う法律が公法でしょうか,私法でしょうか。
交通事故損害賠償実務は,金銭で解決する個人間の利害調整であるため,言うまでもなく私法分野の問題です。
この点,道路交通法は,道路上における義務を定め,違反した場合に国が違反者を罰するという法構成をとる法律であるため公法です。
したがって,交通事故損害賠償実務(事件処理)に道路交通法を直接適用することはできません。
交通事故損害賠償実務に直接適用される法律は民法である
交通事故当事者間の法律関係
では,交通事故損害賠償実務を処理するために使う法律は何でしょうか。
この点については,契約関係にない当事者同士において債権・債務が発生する根拠となる法律として,民法に事務管理・不当利得・不法行為という規定があり,交通事故損害賠償請求権(加害者と被害者との法律関係)は,このうちの不法行為の規定(主に,民法709条)により発生することとなります。なお,基本法は民法709条であり,これらの特別法として,民法715条や自賠法3条などが存在し,これらが根拠となることもあります。
自動車保険会社の法律関係
自動車保険契約により,加害者(保険契約者)の負担する損害賠償支払義務を,加害者との関係で保険会社が負担することになるため(重畳的債務引受),保険会社が検討する内容も,基本的には民法709条です。
交通事故損害賠償請求事件における民法709条の適用
民法709条の法律要件・法律効果
では,交通事故事件処理に民法709条がどのように使われるのでしょうか。
民法709条の法律要件と法律効果を見てみると,以下のとおりとなります。
過失責任の原則
前記不法行為に基づく損害賠償請求権は過失責任であり,その要件として,加害者に故意・過失があることが要件となります(不可抗力の場合には,加害者に対して,責任を追及することができません。)。
そこで,不法行為責任は過失責任のため(前記図③),交通事故損害賠償実務においては,この過失が何かを検討する必要が生じます。
不法行為に基づく損害賠償請求権を根拠付ける「過失」とは
ここで,不法行為に基づく損害賠償請求権を基礎付ける「過失」とは,①結果が予見できた(予見可能性があった)にもかかわらず,②これを怠り(予見義務違反),③結果回避ができた(結果回避可能性があった)にもかかわらず,④これを怠った(結果回避義務違反)ことをいい,特に,①と④を抽出するのが一般的であり,過失とは,予見可能性があったにもかかわらず,結果回避義務を怠った場合をいうと解されています。
噛み砕いて言うと,「結果が予測できるのに,それに対する対応を怠ったこと」が過失となるのです。
交通事故事案における過失
では,交通事故損害賠償事案における過失(予見可能性,結果回避義務)は何によって決まるのでしょうか。
(1)私法
この点,日本には,「私法として」道路上の通行規範を定める法律存在していません。
そこで,道路交通を規制する法律を準用して,過失を根拠付けることを模索します。
ここで初めて,道路交通法を準用できないかという問題が出てくるのです。
(2)道路交通法の位置づけ
ア この点,前記のとおり,道路交通法は,道路上における義務を定め違反した場合に国が違反者を罰するという法構成をとる法律であり公法です。
そのため,厳格に解釈すると公法たる道路交通法は,私法上の事件処理(交通事故損害賠償事件処理)に直接適用できません。
すなわち,道路交通法に違反があったから直ちに過失ありと言えないはずです。
イ ところが,日本には,道路上の通行規範を定める法律が,道路交通法の他に存在しておらず,道路上での事故について規制する私法がありません。
そのため,実務的な処理としては,私法上の事件処理(交通事故損害賠償事件処理)においても,道路交通法の「理念」を流用するほかないのです。
ウ そのため,交通事故損害賠償事件においては,道路交通法の理念に基づき過失の有無を決することになる(道路交通法違反≒過失となる)が,直接適用されるわけではないので,道路交通法違反をもって直ちに過失の有無を決することにはならない扱いとされることとなるのです(道路交通法違反=過失ではない。)。
【具体例】
① 道路交通法上は,直ちに違反となる酒気帯び運転については,理論的には,酒気帯び状態(呼気から一定のアルコールが検知できる状態)であることそれ自体によって,直ちに正常な運転ができない状態といえるかを決することはできず,酒気帯び状態であることから直ちに過失割合等に影響を及ぼす注意義務違反があると考えることはできない(別冊判例タイムズNo.38【全訂5版】44頁同旨)。
② 道路交通法上は,直ちに違反となる無免許運転についても,理論的には,無免許運転であることそれ自体によって,直ちに運転技量に不足がある者といえるかを決することはできず,無免許運転であることから直ちに過失割合等に影響を及ぼす注意義務違反があると考えることはできない(別冊判例タイムズNo.38【全訂5版】44頁同旨)。
(3)過失相殺
なお,加害者の過失による不法行為があった場合でも,被害者側にも責任がある場合に被害者に生じた損害の全部を加害者に帰責すると不公平となりますので,損害の公平分担の観点から,複数者の過失により結果が生じた場合,その寄与度に応じて損害を応分負担させる(賠償額について,被害者側の責任割合相当分を損害額より差し引く)扱いをとります(過失相殺)。
具体的な事件処理のための前提理解
以上を前提とすると,交通事故損害賠償事案においては,過失とは,道路交通法の理念に基づき決せられることとなります。
誤解を恐れずに言うと,道路交通法に・・という注意義務が規定されていることから,こういう走行車両が予想される(またはこういう車両は想定しなくてよい)ということが言え,これが民法709条の過失にいう予見可能性の根拠となるのです。
そのため,前記のとおり,当事者・車両・事故場所・走行態様等の各事項について,道路交通法の基本理念を基本として予測可能性を検討し,それについて個別具体的な注意義務違反の検討をすべきこととなります。
実務上の問題点
本来的な交通事故処理
前記のとおり,交通事故は,その1つ1つの状況は異なりその時々において予測可能性が異なります。
そこで,事案解決のためには,当事者(男か女か,何歳か,視力,持病,運転歴等)・車両(どこのメーカのどういう車か,ブレーキ制動の差等)・事故場所(道路幅,見通し,時間等)・走行態様等(速度,道路のどこを走っていたか等)について詳しく分析していかなければ,判断できないはずです。
個別的事案処理の限界
もっとも,経済発展に伴った自動車の爆発的な普及により交通事故が激増し(昭和30年以降には,交通戦争とまで言われるようになりました。),司法の分野において,1つ1つの事案について,詳しく分析をして解決をする人的余力がなくなりました。
そこで,東京地裁交通部(民事27部)が,典型的な事案毎に,条件を絞って類型化(予測可能性を数字化)し,簡易・迅速に処理する方向性を志向し解釈基準を作り出したのです。
このとき作られたのが,現在交通事故損害賠償実務において当たり前のように使用されている別冊判例タイムズです。
そして,この別冊判例タイムズによる類型化の有用性から全国で使用されるに至っています。
別冊判例タイムズの有用性と問題点
別冊判例タイムズは,一読して理解できるような記載方法がとられており,依頼者の説得にも有用であるため,交通事故処理を担当する保険会社担当者,弁護士,裁判官が事故処理を行う上で極めて利便性が高いものとなっています。
ところが,別冊判例タイムズの使用拡大に伴って,前提条件や個別具体的事情を無視し,あたかもそれが絶対規範であるかのように使用するようになるという弊害が起こっていますので注意が必要です(判例タイムズに書いてあるから,過失・・対・・,などとなっています。)。