交通事故被害に遭われ,不幸にも死亡してしまったり,[後遺障害]が残ってしまった場合,交通事故に遭わなければ得られたであろう給与所得については,[死亡逸失利益]又は[後遺障害逸失利益]として,損害賠償を受けることができることに争いはありません。
では,これに加えて,事故に遭わなければ定年まで勤務した場合に得られたであろう退職金(交通事故を原因として退職して退職金を受け取った場合には受領退職金との差額)についても逸失利益として賠償を受けることができるのでしょうか。
退職金(差額退職金)が逸失利益に含まれるか問題となります。
【目次(タップ可)】
退職金差額請求についての本質的問題点
日本の企業では,いまだに年功序列的な制度が根強く残っていて,従業員の給与は,入社直後は安く抑えられ,年次を経るごとに高くなっていき,最終的に退職金の調整をもって終了するのが一般的です。
そのため,退職金規程のある会社に勤務する従業員は,勤務先会社を退職する際には,当然に退職金を貰えるものと考えて人生設計を行っています。
そのため,交通事故被害に遭われて,退職金が受けとれなかった又はその額が減額された場合には,加害者に補填してもらいたいと考えるのは当然の話です。
もっとも,被害者が請求したい退職金(退職金差額)相当分について,これを無条件に加害者側に負担させるのが妥当かというと必ずしもそうとは言い切れません。
本来,退職金を受領できるのは,勤務先の支給要件を満たし(多くは,定年退職時),かつ実際に退職をしたときです。
当然,交通事故により死亡又は後遺障害が確定したとき([症状固定時])よりも遠い将来の話だったはずです。
そのため,交通事故発生時に,被害者が交通事故に遭わなかったと仮定して,支給要件を充足するまで勤務を続けていたか,極論すれば退職時に勤務先会社が潰れずに残っているか等が必ずしも明らかではないことから,被害者側の主張に従って無条件に退職金(退職金差額)を逸失利益に含めてしまうことに疑問が生じます。
そこで,交通事故により死亡又は後遺障害を負った被害者が,加害者から,退職金又は退職金減額分の填補が受けられるかが問題となります。
退職金差額請求についての最高裁判所の考え方
退職金差額請求自体については,被害者死亡事案において,最高裁はこれを肯定しています(最判昭和43年8月27日・民集22巻8号1704頁)。
同判例は,基本的には退職金差額計算についての基礎収入額について判示したものですが,被害者の勤務先会社に退職金規程が存在し,そこに基本給に対する所得比率による客観性のある算定法律が定められていることをもって,退職金差額請求を認めました。
この判例は,さらに退職金差額請求を認めるための要件提示もしています。
この判例の趣旨からすると,①交通事故による死亡又は後遺障害と退職又は退職金減額との間に相当因果関係があり,かつ②被害者が退職金支給要件充足時まで勤務を継続する蓋然性,③退職時に退職金が支給される蓋然性がある場合には,退職金(退職金差額)請求が認められるということになります。
なお,前記判例は,死亡事案についてのものですが,後遺症障害事案でも同様の結論となると思料します。
各要件の検討
以上のとおり,判例上,退職金(退職金差額)請求が認められるためには,①交通事故と退職又は退職金減額との間の相当因果関係,②被害者が退職金支給要件充足時まで勤務を継続する蓋然性,③退職時に退職金が支給される蓋然性が必要とされ,これらの要件については以下の各具体例事実を総合衡量して判断されます。
そこで,以下,各要件について,具体的事実がどのような考慮要素となるのかについて見ていきましょう。
交通事故と退職又は退職金減額との相当因果関係の検討要素
死亡事案の場合,被害者の労働能力喪失率が100パーセントの後遺障害事案の場合には,これが否定されることはなく,問題となることはありません。
また,労働能力喪失率が79パーセント程度を超える重篤な後遺障害事案(大体後遺障害5級相当)でも,多くの裁判例でこれを肯定する傾向にあります。
他方,労働能力喪失率が20パーセント程度以下の重篤とはいえない後遺障害事案(大体後遺障害11級相当)では,多くの裁判例でこれを否定する傾向にあります。
そうすると,退職金差額請求事案において,交通事故と退職又は退職金減額との相当因果関係が問題となるのは,概ね後遺障害等級が6級~10級のものが多いと思われます。
いずれにせよ,この要件については,後遺障害の内容・程度が被害者の職務に、直接関連し,その影響が強いため,その職務を継続することが不可能であり,かつ勤務先の配置転換などによって退職回避ができなかったのかを慎重に検討して,決定されることとなります。
退職金支給要件充足時まで勤務する蓋然性の検討要素
① 被害者の年齢
年齢が高い場合には,退職金支給要件充足まで勤務する蓋然性を肯定する方向働き,低い場合にはこれを否定する方向に働きます。
② 事故当時の勤務先での勤務年数・定年までの期間
勤続年数が長く,定年退職までの期間が短い場合には,退職金支給要件充足まで勤務する蓋然性を肯定する方向に働き,勤続年数が短い場合にはこれを否定する方向に働きます。
③ 職歴
最終学歴後,一貫して勤務をしているような転職歴がない場合又は少ない場合には,退職金支給要件充足まで勤務する蓋然性を肯定する方向に働き,転職歴が多い場合にはこれを否定する方向に働きます。
④ その他
退職時に退職金が支給される蓋然性の検討要素
この要件の検討要素は,一般的に以下のとおりです。
① 勤務先会社に退職金支給規程があること
② 勤務先会社の退職金支給実績
勤務先会社に退職金支給規程がある場合であっても,支給実績が乏しい場合には,退職金が支給される蓋然性が否定される方向に働きます。
③ 勤務先の規模・経営環境
勤務先会社の規模が大きく,また経営が安定している場合には,退職金が支給される蓋然性が肯定される方向に,規模が小さく経営が安定していない場合には,これが否定される方向に働きます。